2015/6/28(Sun)
涼とはきわめて感覚的なものであり、それゆえ個人的なものであり、相対的なものである。それは文化であり、慣習であり、それゆえ思い込みでもあり、涼の絶対的な定義などない。
たとえば鈴虫の鳴く声は本来それが秋風の吹く頃に聞こえる音であるという事情を知っていて初めて涼と結びつくのであって、それを知らない外国人には単なる雑音にしか聞こえないか、あるいはそもそもその声を意識すらしないかもしれない。
そう考えてみると、本邦には様々な涼の文化がある。エアコンなしでこれほど涼める民族は他にいないのではないか。
小谷隆