ホーム > 小谷の250字 > 2015年3月(31)


<< 見えない「不良」たち >>


2015/3/1(Sun)

 その昔、不良少年といえばいかにもそれという風貌だったように思う。わかりやすい例でいえばヤンキー。時代錯誤のリーゼントやパンチパーマ、剃り込み、眉毛剃りなど、いかにも反社会的な生き様をその外見に演出し尽くしていたものだった。
 しかし最近はそんな悪さがぱっと見ではわからない。重大な犯罪を犯す若者も、見た目はただの「今どきの子」なのである。むしろ悪く見える子たちは「悪ぶって」はいてもほとんどは善良な若者だ。
 今や少年犯罪はどこで誰がどう起こすかわからない。警察も先生も大変だ。
小谷隆


<< あってはならない選択肢 >>


2015/3/2(Mon)

 今どきは馬鹿馬鹿しいほど単純な理由で人が人を殺める。ムカついた、気に食わない、というだけで人が人を殺してしまう。
 理由はどうあれ、殺す側にとってそれは私刑。私刑の極刑が殺人だ。その人の論理で殺すに値すると思うから殺すのである。
 僕はそもそも社会に死刑が存在することにも問題があると考えている。国家が「殺す」という選択肢を持っているうちは、個人も極刑として死刑を想定するということだ。
 戦争も含め、人を「殺す」という選択肢を我が国から、そして世界から一掃しなければならないと思う。
小谷隆


<< 春には鼻毛を >>


2015/3/3(Tue)

 折れた煙草の吸い殻で嘘がわかる、というのは往年の名曲の文句。僕は鼻にたまる垢で花粉の量がわかる。
 この季節は異様なほど鼻毛が伸び、そして密集する。手入れしないとバカボンのパパのようになってしまうのだけれど、これが絶妙なフィルターになる。天気予報で今日は花粉が多く飛ぶと言っていた日は鼻が詰まりそうになる。おかげで都会に30年暮らしてもなお、花粉症の洗礼を受けていない。ただ鼻に垢が溜まるだけだ。
 前から思っていたのだけれど、花粉症には鼻毛を伸ばす薬でも開発した方が有効なのではないか。
小谷隆


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